モチベーション作り(全能感⇄無能感)

投稿者: | 2019年1月13日

全能感への夢

誰もが一度はヒーローになって世界を救ったり、最高権力者になって世界を支配する夢を見たことがあるのではないでしょうか。

誰もが全能感への渇望を持っています。
しかし、全ての人が全能感を満たせるわけではありません。
何度かチャレンジして、それが難しいということを学習していきます。
そこに無力感が発生し、全能感を満たすことををあきらめるようになります。
もしくは全能感が折られてしまうことを回避するようになります。

これは「夢を諦めるな」という道徳の話ではなく、モチベーションについての話です。
全能感への欲求は非常に強いモチベーションを生み出します。
「私はそうではない」という人も、どこかでそのモチベーションを諦め放棄したか、小さな全能感に固執しているかもしれません。
本来、大きなモチベーションを生み出し、行動を支える全能感への渇望を放棄した人は精神的な歪みを抱えることになります。
あるいは歪んだ全能感へと突き走らせ、問題行動を起こすこともあるでしょう。

このモチベーションについて取り組む時、全能感に問題を抱えた人をどのように扱うかがポイントになります。

自己肯定感の低い人はストレスに弱く、何かに対して一定の成果が得られないとすぐに、離脱する傾向にあります。
日本人の自己肯定感の低さは国際的にも特に低く50%もの人が自分に満足しないというデータがあります。
そのようなタイプのユーザーにモチベーションを与えることができれば、かなり多くの新規ユーザーを取り込むことができるでしょう。
しかし、果たして、全ての人に全能感を感じてもらうことができるのでしょうか?

はい。見せ方によって、そのハードルを可能な限り下げ、全ての人に与えることが可能です。

全能感はコストの高い欲求です。
満たしたくても満たせないと多くの人が感じています。
人には諦めず努力をする人と、何度か失敗し諦めるタイプの人がいて、その中でも諦めない人が成功する確率が高いと言われています。
この違いはどうして現れるのか。
それは精神論ではなく、脳の気質的なものが大きく関係していることがわかってきました。

本来的にストレスに強い人がいるのです。
なんだ、じゃあ自分は無理だと思った人も、それは悪いことばかりではありません。
諦めるのも重要なのです。
諦めるからこそ、生命は新天地を目指し冒険をします。
生物の進化の歴史は敗北と逃走の歴史であるという事ができます。
諦めて、次のシーンに向かった方が良いこともあります。
現状の中に、全能感を見出そうとする切り替え方もあります。
全能感へのモチベーションは多かれ少なかれ人は持っており、その使い方次第で自分の行動を変えることが可能です。

なぜ全能感は必要なのか
もし、人類にこのモチベーションが無ければ、すぐに全滅してしまったことでしょう。
知能が発達して頭蓋骨が大きくなった人類は出産において母親に多大な負荷をかけるため、まだ頭蓋骨が小さく産道を通れる未熟なうちに生まれ出てくる必要がありました。
危険だらけの世界で生き延びるために、幼児は素早く、この世界の成り立ちについて学び、それを思い通りに利用し、使いこなさなければなりません。
そして、他の生物と異なり、親の庇護(ヒゴ)がない限り生きていくことができないので、両親を従者のようにして、要求に従わせなければなりません。
乳児はひっきりなしに親に要求を繰り返しています。
我々人類は生まれてすぐに立ち上がることができない代わりに、環境を思い通りに支配する能力を必要としました。
そのための意欲、それこそがこの全能感というモチベーションの正体です。

モチベーションにも、様々な種類とパターンがあります。

まず、生まれてきて、初めに赤ん坊は自分が生きていることを誰かに主張しなければいけません。
黙ってじっとしていると、死んでいると勘違いされてしまいかねません。
大声で泣いて、自分をアピールします。
自分自身が思い通りに「操作」できるかどうか、まず最初の全能感を味わいます。
手足を動かし、身体の所有者が自分であることを確かめます。
次に、そのままでいると死んでしまうので、寒さや空腹、不快さなどの改善の要求をします。
試行錯誤で、他者を思う通りにする方法を学んでいきます。
それから、思い通りに動くようになった手足を使い、自分以外の環境に影響を与えることを学び始めます。
おもちゃを投げたり、しゃぶったり。
これらの行動にも全能感への欲求が関係していると考えられます。

全能感の種類としては、
それが
*自分へ向かうものか、
*他者に向かうものか、
*脅威(キョウイ)なのか、
*友好的なのか、
*人に向かうものか、
*環境に向かうものか、
対象の数、その重要度の違い等、様々なベクトルがあります。
しかし、意識の成り立ちについて考えると、それらは分類上分けることはできますが、
感覚的には同じものではないかと思います。
赤ん坊の意識の中ではそれが生き物であるか、環境であるかの違いを区別することはできても、
明確な区別ではなく、グラデーションのように、母親と自分、人と環境、その重要度が混ざり合っている状態であることが想像できます。

様々な全能感を作り出している要素として

*自と他(内か外か)
*人と環境(質)
*敵と味方(協力と非協力)
*集団(対象の数)
*ボリューム(重要度)

があると考えられます。
これらの要素が混じり合って様々なパターンを作り出していると考えられます。
これらは分けてみることはできますが、
本来は混じり合った全能感という一つの感覚であり、
それらはいくつかのベクトルのグラデーションであると考えた方が、本質的な部分を掴んでいるように思います。

次にひとつずつの要素について考えていきます。

自と他(内か外か

これは自分なのかそれ以外の他者あるいは環境なのかの区別です。
例えば、自分の行動をいかにうまく操作するのかというのは対象が「自」になります。
自分ではなく「他」は自分以外のものを操作しようとする場合です。
ですが、本質的にはすべて「自」を使って「他」に働きかけるという意味では、道具の直接性の違いでしかありません。
何をもって「自」とするかには「所有」の意識があるかどうかの違いであると考えられます。

「自」と関連する全能感の代表例は、操作に関するものです。
自分の身体をいかに使いこなすかはスポーツとなり、それが延長しテクノロジーを使えば、収益をもたらしていきます。
SNSであれば、いかに自分のキャラクター(アバター)をうまく自分自身で操作するかということになります。

アプリの操作はわかりやすく簡単であればあるほど良いと言われていますが、
実のところ、あまりに単純すぎると、操作から全能感は得られにくくなります。
ある程度、複雑な要素をうまく使いこなすところに、人はより強い全能感を感じます。

単純さを目指すのではなく、いかに複雑なことを、使いこなせた感覚にさせるかということを軸に考えると、
また違った回答が導き出せるのではないでしょうか。

「他」とは自分以外ですが、アプリケーションの操作であやつる自分のキャラクターも「他」ということができます。
自分を使ってアプリケーションを操作するという意味ではアプリは外部です。
先ほども述べたように「道具」であるという意味では自も他も境目はありません。

最初に述べた「所有」という意味では、他者も自分の部下となれば所有対象となり自の一部になります。
彼らを率いて会社という単位で競合と戦う時、その市場が「他」となります。
そのようにその境界はフロンティアのように、拡大する意思を持っています。
そして異なるベクトルに向かってその「対象の数」を増やす方向に広がっていくのです。

ないはずの足が痛むメカニズムに関しての幻肢実験で、
身体も身体以外の物体も自意識にとっての「所有」という意味において違いがないことが証明されています。

例えば、手を机の下に隠し、机を刺激します。
その時、隠されている手に同様の刺激を加えます。
それを数回行うと、被験者は机から感覚が生じていると感じるようになります。
机が身体の一部として脳とリンクするのです。

次からは机を刺激しただけで、手にも刺激を感じるような錯覚を覚えます。
つまり物体も身体の一部として機能するようになるわけです。
例えばスポーツ選手などは、そのような身体感覚を道具に対して持っています。
車に乗る人は、車体の間隔や、車が何かに接触した時に実感として距離感や痛みを身体感覚として感じたことがあるのではないでしょうか。

道具としてのアプリケーションを考える時、いかに身体感覚としてシンクロしやすいかというのが道具としての良さを左右するように思います。
そういう意味で、直線で割り切ったデザインが本当に身体とシンクロしやすいのかというような、
また違ったUIデザインの発想の仕方がありえるように思います。
これに関してはエルゴノミクス理論(人間工学)としてひとつの研究対象となっているので、詳細はそちらに譲ります。

▶️落合陽一

何かを使いこなした時の喜びは決して小さくないことは、誰もが経験していることと思います。
たかが操作性と思われるかもしれませんが、
そのフィット感や使いやすさという面の快感はアプリケーションの喜びの中でも大きな要素のひとつとなります。

人と環境

その対象が「他」か「自」なのかに加え、その対象が「人」なのか「環境」なのかについても、その取り組み方が変わります。
これに関してもやはり曖昧さをどのように受け入れるかで、考え方も変わります。
操る対象が人もしくは自分なのか、生命ではない無機物や、周囲の環境なのか。

そして、例えば、ゲームをしている時、対戦相手がAIなのか、ネットでつながるユーザーなのかによっても、こちらの感覚は大きく異なってきます。
本当にそれがリアルな人なのかと問われると判別が難しい場合もあるでしょう。
しかし、我々がそれをどう捉えるかが大きな問題となります。
そこにある箱を横にどける場合と、そこにいる人に指示を出して横にどいてもらう場合で、発生する感情を想像するとその違いを理解できると思います。

人間とコンピューターを相手として同じ利権構造をもつ状況での意思決定を比較した研究では相手が人間の時に強く活動する脳の部位が複数あり、
その違いは明確なものであります。

それに関しての研究も多く行われています(Gallagher 2002/McCabe 2001/Rilling 2004/Sanfey 2003)。
このことは無機質であるアプリに対して人の取る行動は、通常、人が人に対して取る行動で生じる感情はまったく別種のものであるということです。

例えば、
無機質なアプリなのか、
ナビゲーターのイラストが操作説明を行うアプリであるのか、
ユーザーの反応は変化すると考えられます。

その反応差を明確にした研究にアザラシ型のロボット、「パロ」を使った「人とロボットの持続的相互作用に関する研究」等ありますが、
人は直感的に生物かそうでないかを見分ける能力が備わっており、
「不気味の谷」問題のように、「パロ」のようなデフォルメされたものには親近感を感じても、
リアルに近づくにつれて、それはハッキリとした嫌悪に変わることが証明されています。


アプリに対する人の感情に、対人にするような情動や、節度のある態度を期待することはできないでしょう。
そのことを前提にしていないと、精神論は大きな勘違いをしてしまうことになります。

対象が人でないからその全能感は低いという強弱の問題だけではありません。

猿と人を隔てるのは環境を作り変える力にあります。
人間は自然を征服し、作り替えてきたことで大きな発展をしました。
この感情は我々の遺伝子の中に強く刻み込まれているはずです。
驚異である自然を「所有」し、領土を拡大するというフロンティアは決して小さくはないのです。

集団(対象の数)

「人と環境」は人か人ではないかというベクトルでした。
それに似ていますが、集団は数に関するベクトルです。
全能感について様々な要素を切り離すのが難しい部分があります。
人があつまった場合には「チームの環境が良い」のような使われ方をするように、環境とは様々な要素を含めた状態を指します。
ここではその対象の質ではなく「not個」という数の部分にフォーカスします。

例えば、環境に馴染むだったり、その環境に影響を与え操作する時、それは操作する喜びであることは「自と他」で触れました。
その時、対象となるものの数の規模が大きければ大きいほど、その全能感は大きくなります。

全能感の喜びは「操作の充実感×操作する対象の数」で表すことができます。
しかし、相手が一人でも、その相手が好きな人だったり、その操作の重要性によっても喜びは大きく変化します。
これは「重要度」というベクトルとして、「数」とは区別して考えます。
この時、式として、集団の中に好きな相手がいる場合は「操作する対象の数」の係数となり、操作の重要性は「操作の充実感」の係数になると考えられます。

「(操作の重要性×操作の充実感)×(操作の対象×操作の数)」

集団の場合、人の数が多くなるほど、ひとつの指示でうまく指示をすることが難しくなります。
中には敵対する人も出てくるでしょう。
だからこそ、やり遂げたときに大きな喜びがあるのかもしれません。
そして、対象が人の場合、それは全ての人が全能感の欲求を満たすことができないということを意味します。
その数の要素がその喜びの大きさを表します。
そして、この数の全能感は「競争」と強く結びついています。
もちろん対象が人ではない場合には「競争」は発生しません。
多くの物を管理統制することも、もちろん、大きな喜びになります。
しかし、人は本来的には社会的な生き物であるので、人ではない場合よりも人の方が喜びの係数は大きいと言えます。

人が対象になる数の全能感の問題点は、100人で勝負をした場合、どうしても残り99人が負けることになる点にあります。
そこで、より多くの人にトップのモチベーションを与えるには技能のレベルによって階級分けを行いその中で競わせるわけですが、
その階級分け自体にも無力感を生む土台があります。
階級ではなく、分類や技能の種類で分けることも一つの手法としてはあります。
しかし、できるだけ多くの評価軸を作り、一人でも多くの人を上位への争いに巻き込む手法には限界があります。
必ず脱落者を生むことになります。
1位の人のためだけに社会やゲームがあるのではありません。

評価とは優劣という一面的なものではなく、局面や、性質によって、活かされ方は無限に存在します。
競争による評価や順位付けで起こるモチベーション低下が大きな問題となります。
そもそも、そのような評価を避け、争いに参加したがらない人も数多くいるでしょう。
そのような人はソーシャルゲームに参加するべきではないのでしょうか?
https://youtu.be/ZHE6zOW_HIc

協力と非協力

集団の場合、どうしても「競争」と切り離すことが難しくなります。
1位を取るためには、争わなければならないわけです。
上位に行けない人の多くはやがて無力感に襲われてしまうでしょう。
いえ!いえ!そんなことはありません
▶️美樹本千晴No1を狙わない理由
習熟度によって数値が変化するゲームの場合、次々に初心者ユーザーが入ってくれば、いずれは、上位に押し上げられるかもしれません。
「おれつえー」と言われる全能感に浸ることができるわけです。
しかし、ユーザーはやがて一方通行で、順位だけでしかないその実力が自分を満たしてくれるものではないことに気づきます。

そこで、その上位の喜びである「協力」と「非協力」のベクトルがあります。

「支配」は一方的ですが、協力によって得られた「信頼」は相互関係になります。

支配は支配される人と支配する人に別れ、全ての人が満足することはできません。
しかし「信頼」は相互関係が成立するので、全ての人が満足することができます。
「非協力」という競争のベクトルを「協力」に転換すると、より多くの人を取り込むことができます。
例えば「facebook」の友達の数や「いいね」の数などはベクトルを協力の方向に向かわせています。

協力には「承認」が強く関わっています

人はなぜ利他的に行動できるのか、そこには報酬としての「承認」に大きな動機があります。
その承認の数が大きな全能感を作り出します。
脳には相互協力したときにある特定の領域が活動することがわかっており、
相互協力関係がそもそも人にとって快いことがわかっています。
この活動レベルは相手がコンピューターよりも人間である方が高く、協力関係を築くことが快感情をもたらすことを示しています。

手法としては「数」の欲求同様、評価軸を多く作ることです。
それから協力を促す構成や、協力を求めやすい状況を用意することが一般的です。
重要なのは協力する楽しさのアピールや、協力することで一人ではできないことが達成できるということを実感してもらうことです。
ただ、援助ボタンがあり、依頼ボタンがありというだけでは、その関わりを感じることができません。

協力要素を利用していても「手軽さ」と「コスト」を混同しているアプリが多く見られます。

相手に対しての好感度はこちらが相手に支払ったコストと関連しています。
つまり、奉仕するほど相手に対して印象を良くするのです(認知不協和)。
そして、何かをしてもらった人はその相手に対して、何かをお返ししようとするでしょう。
そこで、関係性のループが生まれます(返報性の法則)。
返報性が働かないようなささやかな協力関係ではなく、それなりのコストがある方が、強い関係性が生まれます。
手軽さは必要ですが、コストだけを減らすのは間違いです。
人はもっと親切をしたいのです。
報酬を受け取る親切

しかし、これも「数」の欲求と同様、限界があります。
限界はないとも言えるのですが、本人の努力や、性質にも大きく左右されます。
この承認が思うように満たされなかった経験ゆえに、反動として、
人見知りになったり、
攻撃的になったり、
非社交的になることも考えられます。
そもそもランキングに参加しないユーザーも、他者の承認を拒否する傾向もこのことが起因するパターンは少なくはないと思われます。

ボリューム(重要度)

自己評価の低い人は、大きな全能感に対して否定的になっています。
全能感には強弱のようにボリュームがあります。
目の前のものを取ろうとして取ることができる、それが可能なことも小さな全能感を与えてくれます。
ものを使って何かを築き上げる。
その全能感は、ただ手に取るだけとは違う大きな全能感になります。
築いたもので何者かの襲来(シュウライ)を阻止する。
それは、さらに大きな全能感を味あわせてくれるでしょう。
そして、それを誰かに評価される。
うっとりするような全能感になるに違いありません。
このように全能感には性質によって強弱があります。

しかし、その行動に境目はなく、小さなアクションの積み重ねであり、大きな成功は地続きでその先にあります。
しかし、多くの人はその途中のどこかで挫折します。
むしろ地続きである感覚を失っています。
最初に何かを手にとった喜びがそれで消えるわけではないのに、無力感で次の行動が取れなくなってしまうのです。

気質的なものもあるでしょうが、挫折や無力感の大きな原因は繰り返した失敗による「学習」のせいです。
これを「学習性無力感」と言います。

このような実験があります。
犬に電気刺激を与えるためのヘルメットを装着します。
このヘルメットは振りほどくことができません。
犬は電気刺激の度に苦痛を与えられ、この刺激から逃がれようとします。
初めのうちは、刺激の度、暴れて抵抗していた犬も次第に、声だけになり、やがて、その痛みから逃げることができないと悟ると、
まったく動かなくなってしまいます。
酷い実験はこれで終わりではありません。
ヘルメットを外し苦痛を与えていた原因を取り去ります。
晴れて自由の身です。
しかし、今度は足元のカーペットから電流が流れ再び犬に苦痛を与えます。
ヘルメットの時と違い、犬はカーペットの上から移動し、苦痛から逃れることができます。
しかし、驚いたことに犬は、悲しそうにその場に座り込んで苦痛を回避しようとしなかったのです。

例えば、ひとつの教室で、たまたまテストが悪かった子供がいるとします。
次のテストで運悪く、不得意な問題が出てしまい、また次のテストの結果も教室の中で悪い方だった。
その時、周囲も、そして、自分自身に対しても、「頭が悪い」というレッテルを貼ってしまうことが予想できます。
そうして、彼は「努力してもダメなんだ」という学習性無力感に陥り、努力することを放棄してしまいます。
学習性無力感の威力は凄まじく、誰にでもできるようなことさえも、できなくなってしまうことがあります。
このようなことが学校社会では頻繁に起こります。
その場合の対策として集団ではなく個人で学力を伸ばしてやる方法があります。

その人にあった難易度で、競争や協力という人と関わる手法を最初にもってくるのではなく、
小さな全能感を得られる個人ミッションを積み重ね、
それが大きなミッションの達成につながるような目標設定をしてやることで、
適切な全能感を育むことが期待できます。
複雑な仕組みを持たせることが可能なソーシャルゲームの場合は、
いきなり大きな場所で戦わせるのではなく、
ステップのようなもので仕切り、
着実にランクアップさせるような仕組みや、
習熟度によって協力も複雑化して顔の見えない協力からより大きなコストが必要な協力へとステップアップするようにして、
その全能感の重要度を徐々に上げていくことで自己評価を段階的に上げていくことができるかもしれません。

適切な全能感とはこの全能感のボリューム(重要度)に関係すると考えられます。
幼児期にもつ全能感は「幼児的万能感」と呼ばれていて、これをうまく満たされなかった、
もしくは制御を学ばなかったりすると、大人になり、問題を抱えることが多くなります。
大きな挫折や、消極性などにつながったり、反対に、その万能感を持ち続けてしまうということになります。

この時の対策としては、まず、競争や数など、適応できる全能感の要素や範囲を限定して、その強弱のチューニングをすることだと思われます。

そして、それを自分で判定できるようになる「自己評価」のガイドを入れることです。
大きな期待が挫折を生むのです。
適切な期待とその達成というフィードバックの機構を構築することで、モチベーションを正しく育むことができます。

重要度の高い全能感はそれだけ強い快感を生み出しますが、
初心者にとっては高い目標自体が大きなストレスであり壁になってしまいます。

いきなり社長になれと言われても、多くの人は拒否してしまうでしょう。
その途中には、色々な段階があり、

まずは仕事を楽しむこと、

自分が考えたことを実行に移すこと、
楽しいことを見つけること、などクリアすべきことが多くあります。

まずは最小の単位として、楽しく取り組めそうなことを探すこと。

それを行動に移すことをミッションにすれば、壁は限りなく小さくしていけるはずです。
「目標設定」の意味は重要度を設定をすることです。
高ければいいのではありません。
その時、先ほども触れた「自己評価」を高めることが重要なポイントになります。
そうすれば、ユーザーに「内発的動機付け」が行われます。
この時、第三者がもっともやってはいけないのは、過剰な報酬によってモチベーションを高めようとすることです。
ユーザーがその先の目的をしっかり持っている場合は良いのですが、
それが面白いかどうか、分かっていないユーザーにとって「過正当化効果」が発生し、
モチベーションは報酬をもらうための行動であるという理由にすり替えられ、
「内発的動機付け」が下がってしまいます。いかに正しい全能感を学習させるかがポイントになります。


学習性無力

多くの人が気づかないうちに、この学習性無力の虜になっています。
会社では実に60%以上もの人が学習性無力に苛まれていると言われています。
このことが組織にどれほど大きな損失を生み出していることでしょうか。
しかし、これに対して対策をとっている会社はごくわずかです。
学習性無力を生み出す脳の状態を知ると、それを回避する方法が見えてきます。
なにかストレスが発生すると、
ストレッサー(ストレス因子)に対して解決するか逃げ出すか「闘争か逃走」の選択をしいられます。
その時、アドレナリンとコルチゾールという脳内ホルモンが分泌され、興奮反応がおきます。
つまり逃げるも戦うも同じ反応が起きるのです。
アドレナリンによって瞳孔は開き、痛みが麻痺します。
そして、コルチゾールはストレスによって分泌され、海馬を萎縮させ、記憶形成に影響を与えます。
つまり新しいことが記憶できなくなってしまうのです。
持続的なストレスにより誰でもできるようなことができなくなってしまうメカニズムはここに関係していると思われます。
有効なのは、このストレッサーとなっているものをパーテーションすることです。
先ほど触れた個人で学習することを推奨したりするのもその例です。
社会には上下関係の競争で成果が上がることを期待する傾向がありますが、
実力以外の部分で争うことを余儀なくされると、効率が低下することもあります。
適正ではない競争はむしろ学習性無力を生み出す温床になっているのです。
評価を査定だけではなく、
プラス面を積極的に評価する仕組みをつくることで学習無気力を回避することができると考えられます。

人生における「学習性無力」を取り去ることはさておき、ゲームなどにおいても、無気力はユーザーにとって支障になっています。
自分はゲームが不得意なんだ。
そう思って、多くのユーザーは入口で離脱していきます。
「学習性無力」が産まれる背景には失敗をおそれるということがあります。
何度チャレンジしても失敗する。
そこで、人は「心理的リアクタンス(抵抗)」を解決しようとし「もともとチャレンジなんかしようとしなかった」と発想を切り替えます。
だからその状況を甘んじて受け入れられるのです。
それが心にとっての防衛手段となります。これをシステム的に回避する方法として「救済措置」が考えられます。
失敗数の上限を儲けるのです。
救済措置が目に見える形でも良いですが、
ユーザーに知られず、失敗の上限に達すると、有利な条件が発生する等の仕組みを入れることで、
ユーザーが「学習性無力」になるのを阻止できます。

しかし、「救済措置」は有効であっても、根本的解決にはならないでしょう。
もっとも根本的な解決は、ユーザーの自己価値感を向上することです。
そもそも失敗を楽しむことができるような仕組みを考えることが重要です。
つまりチャレンジ自体を評価する仕組みや、自己評価の仕組みが必要になるのです。
そして、失敗に意味があったと思えるような、「気付き」が起こる仕組みを入れることなどが考えられます。

失敗を評価するというのが重要なのです。

失敗の中でも良かった部分を評価することはできるでしょう。
「がんばってね」というメッセージや失敗を重ねたときに発生するイベントも有効でしょう。
つまり、失敗に意味があると思わせるための「気付き」を用意することです。
なにか解決の「ヒント」をさりげなく与えるなど、失敗を楽しむことができるアイデアは他にも様々に考えられると思います。

全能感を阻害され続けたり、歪んだ全能感を形成すると、人は極端な無気力になるか、
小さな全能感にしがみつき、チャレンジを避けるか、攻撃的になり、人を歪んだ行動に走らせることがあります。
しかし、その全能感の欲求が正しい方向に向かうと、
強いモチベーションを生み出し、自らを高めていくような行動をとるようになります。
正しいモチベーションを生み出す仕掛けを入れることでひとりでも多くのユーザーを惹きつけ、
高みを目指すべくモチベーションを持続させることができるでしょう。
そして、この「全能感」が適正に満たされた先に、さらに強いモチベーションを生み出す「没入感」があります。
言い換えるとまず全能感が適正に満たされなければ、没入感が得られないということにもなります。

孫正義さんも事業を始めるとき、はじめに作った会社は、「どんな事業をやるのかを決める」ための会社だった。

どんな事業をやるのかを決めるためだけに1年半の時間をかけて40の業態を考えた。
すごい話だ。「何をやるか」はそれくらい重要なのだ。
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